1990年代は、日本のメンズファッションがかつてないほどの熱気を帯びていた時代でした。
多様なスタイルがストリートから生まれた、そんな時代です。
あなたが知りたいのは、きっとあの時代を彩った具体的なブランドやアイテム、その背景にあるカルチャーのことではないでしょうか。
1980年代末期から続いたバブル経済が崩壊し、人々の価値観や消費行動に大きな影響が出ました。
この経済的な転換点は、画一的なトレンドが終わり、多様なサブカルチャーが花開く時代の幕開けでもあったのです。
特に若者のファッションにおいて、その変化はとても顕著でした。
若者たちは既存の価値観にとらわれなくなりました。
自由な自己表現をファッションに求めた時代です。
この記事では、アメカジやメンズストリートファッションといったキーワードを軸に解説します。
当時流行したブランドや90年代に流行ったファッションアイテムも紹介します。
さらには冬のメンズスタイルやお洒落を牽引した当時のメンズ雑誌に至るまで、幅広く取り上げます。
この記事でわかること
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90年代のメンズファッションの主なスタイル
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流行したブランドとアイテム
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背景にある社会やカルチャー
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ファッションと雑誌・音楽の関係
90年代~当時の日本メンズファッション熱狂の背景

Made By B・Genius
80年代メンズファッションがデザイナー主導だったのに対し、90年代はストリートからトレンドが生まれるボトムアップ型へと大きく転換しました。
この章を読むことで、90年代メンズファッションの全貌がわかり、さらに現代に与えた影響まで理解できるはずです。
概要
- アメカジブームと渋カジの誕生:80年代からの進化
- 裏原系ファッションの衝撃:ストリートファッションの新たな波
- グランジファッションと反骨精神:当時流行の象徴
- アメカジ (American Casual) の深化とヴィンテージへ探求
- ヒップホップファッションの台頭:90年代に流行ったブランド
- 冬のメンズスタイルを彩った:当時流行したブランドとアイテム
- モードとストリートの交差点:日本的解釈と「キレイめカジュアル」
アメカジブームと渋カジの誕生:80年代からの進化
90年代初頭、まず注目されたのはアメカジをベースとしたスタイルでした。
その代表格が「渋カジ(渋谷カジュアル)」です。
渋カジは80年代後半に登場し、90年代初頭にピークを迎えました。
とはいえ不良の服飾史を考えると、私服の登場は必然ともいえる。
90年ごろから、短ラン・ボンタンなどのツッパリ系ファッションは廃れていき、チーマーに代表されるように、都会の不良はアメカジを取り入れだしたからだ。 pic.twitter.com/XLRpBZEKxI
— Patty (@jiang1qi21) May 15, 2020
主に渋谷の裕福な私立高校生の間で自然発生的に広まったスタイルと言われています。
アメリカンカジュアルを基本としながらも、シンプルさ、質の高さ、品の良い着こなしが重視されました。
リーバイス501のジーンズ、ラルフローレンのボタンダウンシャツやポロシャツ、レッドウィングのエンジニアブーツ、ティンバーランドのモカシン、アヴィレックスのフライトジャケット。
こういった定番アイテムを落ち着いた色調(ネイビー、ベージュ、カーキなど)でシンプルに着こなすスタイルは、当時の富裕層の高校生を中心に広まりました。
80年代メンズファッションのDCブランドブームの顕示的な消費とは異なる、リアルクローズの価値観を提示したのです。
この動きは、高価なものだけでは満足しない意識の変化でした。
ステータスとしてのブランド名よりも、個性や「等身大のファッション」を表現するスタイルに関心が移っていったのです。
質の良いもの、本物志向のアイテムへと関心が移り変わる兆しだったのです。
それは後のセレクトショップカルチャーの土壌を築いたと言えるでしょう。
バブル崩壊後の経済的な背景も、個人主義的なファッションへのアプローチを後押ししていきました。
裏原系ファッションの衝撃:ストリートファッションの新たな波
90年代半ばになると、原宿の裏通り、通称「裏原宿」から新たなムーブメントが生まれます。
これが「裏原系」と呼ばれるスタイルです。
裏原系はメンズストリートファッションの歴史において欠かせない存在となりました。
90年代のストリートスナップです。裏原系ファッションの流行から、革の短パンが流行ってました。GジャンがLeeだったり、ナイキのターミネーター履いてるのは珍しいですね。並行輸入やユナイテッドアローズで売られていたクロムハーツも安かった時代です。 pic.twitter.com/W00HXlSGjM
— ドームラバ (@cafe_de_flit) December 8, 2024
音楽、アート、ストリートカルチャーと強いつながりを持つカウンターカルチャームーブメントだったのです。
A BATHING APE、UNDERCOVER、GOODENOUGH、NEIGHBORHOODといったブランドが裏原系を牽引しました。
NIGO氏と高橋盾氏が共同設立したショップ「NOWHERE」は重要な拠点でした。
限定生産アイテムや、DIY感のあるアイテム、希少性が高いアイテムが特徴でした。
オリジナリティとサブカルチャー資本が重視され、ルーズなシルエット、グラフィックTシャツ、ユニークなスニーカーコラボレーションが一般的だったんです。
特にパンクやヒップホップといった音楽が強い影響を与えました。
藤原ヒロシ氏のようなキーパーソンの影響力も絶大でした。
「裏原のゴッドファーザー」とも称される藤原ヒロシ氏たちが発信する情報は若者たちのファッション観を大きく左右したのです。
裏原系は主流のファッション消費からのラディカルな逸脱を象徴していました。
共通の嗜好とインサイダー知識を中心にコミュニティを育み、大量市場のアピールよりも希少性と真正性を評価したのです。
このムーブメントは世界のストリートウェアに大きな影響を与え、その影響は女子のファッションにも及びました。
グランジファッションと反骨精神:当時流行の象徴
アメリカのロックシーンから派生した「グランジ」も、90年代のメンズファッションを語る上で重要なスタイルです。
90年代初頭から半ばにかけて、ニルヴァーナのカート・コバーンなどに触発されたスタイルが広がりました。
意図的に手入れされていない、「grungy(汚れた)」なルックを特徴とする「アンチファッション」の表明でした。
「偽りの自分」を愛されるよりも
「本当の自分」を憎まれる方がいい
カート・コバーン (ミュージシャン) pic.twitter.com/zLiRsPLzdd
— ヒロポン【唄種】服部です🥷🎶 (@phil0p0n) April 29, 2025
ネルシャツ、バンドTシャツ、ダメージジーンズ、コンバースのスニーカー、ドクターマーチン。
こういった、着古したようなアイテムをレイヤードするスタイルがグランジの特徴でした。
レイヤードされた、しばしばオーバーサイズの服が特徴で、快適さと着古した美学が重視されたのです。
グランジスタイルは、既存の価値観への反抗心やアンチファッションの精神を象徴していたのです。
洗練された主流のファッションを拒絶する姿勢がそこにはありました。
ニルヴァーナのカート・コバーンの着こなしは、当時の若者たちに大きな影響を与えました。
90年代に流行ったファッションアイテムとして、古着のネルシャツや色褪せたジーンズが注目されたんです。
これは、新品で高価なものだけが格好良いというわけではない、という新たな価値観の提示でもありました。
「古い」「着古した」ものがクールであり得ることを示したのです。
それは真正性と技巧の拒絶への欲求と共鳴し、成長するヴィンテージブームと一致しました。
アメカジ (American Casual) の深化とヴィンテージへ探求
渋カジはアメカジの初期の特定の形態でした。
しかし、より広範なアメカジトレンドは90年代を通じて進化し続け、より多様化しました。
その重要な側面は、本物のアメリカのヴィンテージ衣料への関心の爆発でした。
ヴィンテージデニム(特にリーバイス501XX)だけでなく、軍の放出品、ワークウェア、カレッジスウェットシャツも含まれます。
希少なリーバイス501XXの探索は、この時代の決定的な特徴となりました。
「味出し」という、意図的に服を着古したり、時にはダメージを与えて個性を出す慣行が人気を博したのです。
\WBA世界王者・堤 聖也の極上デニム3選/
リーバイス501XX、フォアモスト…
今回はボトムスを中心とした自身のプライベートアイテムとともに、並々ならぬアメカジ愛を語ってもらった。
▶︎https://t.co/Nt8IPQEhti@GoodOzanari https://t.co/ajXIDflXVJ pic.twitter.com/ZkOMbugMLV— OCEANS(オーシャンズ) (@OCEANS_mag) May 19, 2025
デニム、レザージャケット(ライダース、フライトジャケット)、ワークブーツ(レッドウィング)、スウェットシャツ。
アメリカの図像が描かれたTシャツ、ネルシャツなどがキーエレメントでした。
深化されたアメカジは、職人技、耐久性、衣服に込められた物語への高まる評価を反映していました。
ヒップホップファッションの台頭:90年代に流行ったブランド
90年代後半になると、アメリカのヒップホップカルチャーが日本にも本格的に上陸しました。
ヒップホップカルチャーはファッションにも大きな影響を与えたのです。
オーバーサイズのTシャツやフーディー、バギージーンズ、ティンバーランドのブーツ、MA-1ジャケット。
野球帽、スニーカー(特にエアジョーダンのようなバスケットボールシューズ)も特徴的でした。
これらのアイテムがB-BOYスタイルとして人気を博しました。
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ナイキやアディダス、トミーヒルフィガーといったスポーツブランドやカジュアルブランド。
こういったブランドが、90年代に流行ったヒップホップファッションブランドとして注目されました。
大胆なロゴ使いやスポーティーな着こなし、明るい色がストリートを席巻したのです。
ヒップホップファッションは、明確に都会的でアメリカのサブカルチャー的アイデンティティを日本にもたらしました。
音楽、ダンス、特定の態度と密接に結びついており、日本の若者の一部にアピールするライフスタイルパッケージを提供したのです。
冬のメンズスタイルを彩った:当時流行したブランドとアイテム
冬のメンズスタイルにおいても、90年代は多様なアプローチが見られました。
アメカジの流れを汲むヘビーデューティーなアウターが人気でした。
例えばショットのPコートやアヴィレックスのB-3フライトジャケットなどです。
そこでTheFewのハイランダーですよ。フライトジャケットB-3をバイク用にアレンジした、れっきとしたライディングジャケットです。前傾姿勢に耐えうるように後身が長い、肩〜肘周りに牛革(しかもバダラッシ)を貼って転倒にも耐えやすくしてあるなどなど。 https://t.co/amGk1l4NoJ pic.twitter.com/Bfe7Nypi7U
— 1979 (@Caferacer1979) April 17, 2024
裏原系ブランドからはデザイン性の高いダウンジャケットやナイロンジャケットが登場しました。
防寒性とファッション性を両立させたスタイルが注目されたのです。
アウトドアブランドのフリースジャケットなども、カジュアルな冬の定番アイテムとして浸透しました。
これらのアイテムは、当時流行したブランドの象徴として、今もなお古着市場などで人気があります。
モードとストリートの交差点:日本的解釈と「キレイめカジュアル」
ヨウジヤマモトやコムデギャルソンのような日本のハイファッションデザイナーもストリートに影響を与えました。
彼らのアバンギャルドで脱構築的な美学、特に「黒の衝撃」は、ストリートレベルでの「モードライク」なスタイルとして取り入れられました。
モノクローム(特にオールブラック)のパレット、オーバーサイズのシルエット、ユニークな生地感が特徴です。
COMME des GARÇONS AW 1985
を着る中森明菜#コムデギャルソン #中森明菜#COMMEdesGARÇONS pic.twitter.com/0nR1f2I93x— printed matter (@PrintedM1295) May 17, 2025
ヘルムート・ラングのようなグローバルなモードブランドも影響を与えました。
「キレイめカジュアル」という、カジュアルさと洗練された上品さを融合したスタイルも登場しました。
スマートなジャケットやフィット感の良いトラウザーなどがこれにあたります。
個性を表現するために服を自作したりリメイクしたりする「カマ男(フェミ男)」の出現も、この流れの一つと見なせるかもしれません。
90年代主要メンズファッションスタイル概要
スタイル | 時期 | 特徴 | 代表的ブランド・アイテム | 文化的背景(音楽、場所、キーパーソン/雑誌等) |
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渋カジ (Shibu-kaji) | 80年代後半~90年代初頭 | アメカジベース、シンプル、上質、洗練された着こなし、落ち着いた色調 | リーバイス501、ラルフローレン(シャツ)、レッドウィング、ティンバーランド、アヴィレックス | 渋谷、富裕層の高校生、アメカジ |
裏原系 (Ura-Hara Kei) | 90年代半ば~ | 限定品、DIY感、希少性、独創性、ルーズシルエット、グラフィックT、スニーカーコラボ | A BATHING APE、UNDERCOVER、GOODENOUGH、NEIGHBORHOOD | 原宿(裏原宿)、藤原ヒロシ、NIGO、高橋盾、音楽(パンク、ヒップホップ)、雑誌『Boon』 |
グランジ (Grunge) | 90年代初頭~半ば | アンチファッション、レイヤード、オーバーサイズ、着古し感、反骨精神 | ネルシャツ、バンドTシャツ、ダメージジーンズ、コンバース、ドクターマーチン | アメリカのグランジロック(ニルヴァーナ等)、古着 |
アメカジ (American Casual) | 90年代全般 | ヴィンテージ志向、ワークウェア、ミリタリー、カレッジスタイル、味出し | ヴィンテージデニム(リーバイス501XX等)、レザージャケット、ワークブーツ、スウェット | 古着ブーム、アメリカ文化への憧れ |
モード系ストリート (Mode-inspired Street) | 90年代全般 | モノトーン(特に黒)、オーバーサイズ、アシンメトリー、素材感重視、知的・芸術的雰囲気 | ヨウジヤマモト、コムデギャルソン(間接的影響)、ヘルムート・ラング | 日本人デザイナーの世界進出、ミニマリズム |
ヒップホップ (Hip-Hop) | 90年代後半~ | オーバーサイズ、スポーツブランド、ロゴ、B-BOYスタイル | ナイキ、アディダス、トミーヒルフィガー、ティンバーランドブーツ、MA-1 | アメリカのヒップホップ音楽・カルチャー、雑誌『Boon』 |
こういった多様なスタイルの出現と共存は、90年代のメンズファッションが「部族化」し、アイデンティティの多様な表現を可能にしたことを示しています。
各スタイルは独自の規範やステータスマーカーを持つ「部族」のように機能しました。
「クールさ」は高価さだけでは測れず、「文化資本」(インサイダー知識や希少アイテムを見つける能力など)に依存することが多かったのです。
90年代のファッション:当時のメンズスタイルは雑誌と広告が源泉

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インターネットが普及する以前の90年代、ファッション情報は主に雑誌から得られていました。
『Men's Non-no』、『POPEYE』、『Boon』、『Hot-Dog PRESS』、『Fineboys』、『smart』。
こういった当時のメンズ雑誌は、若者たちにとってまさにバイブルのような存在だったんです。
本章では、雑誌がトレンドに影響を与えた以上の存在になっていった理由について深く考察していきます。
概要
- お洒落を牽引した当時のメンズ雑誌:情報源としての役割
- 音楽シーンとの共鳴:ミュージシャンが発信するスタイル
- スニーカーブーム到来:90年代に流行ったファッションの代表格
- 90年代に流行ったメンズブランドがリバイバル?時代を経て令和へ
- 90年代当時のメンズ・ファッションのレガシーと現代への影響まとめ
お洒落を牽引した当時のメンズ雑誌:情報源としての役割
ファッション雑誌はスタイルやルックを特集し、「クール」なアイテムやブランドを指名し、スタイルに関する物語を構築することで社会のトレンドを牽引していきました。
さらに、アクセサリやアイテムの着こなし方や、その背景にあるカルチャーまで詳細に解説していました。
熱心な読者のファッション知識を深める役割も担っていたのですね。
特に『Boon』はスニーカーブームや裏原系ムーブメントを特集記事やストリートスナップを通じて牽引する上で極めて重要でした。
その影響力は、特定のアイテム(例えばA Bathing Apeの「シャークパーカー」など)を人気化させる上で絶大だったのです。
広末涼子は、古着・スニーカーブームの火付け役となった男性ファッション誌『Boon』(祥伝社)でよく表紙を飾っていた人ってイメージだわ❗️ pic.twitter.com/NaB07uayKq
— 昭和あるある研究会@ショウケン (@showken0429) June 15, 2023
特にストリートスナップは人気が高かったです。
東京のファッション地区からのリアルな人々のスタイルを紹介する重要な要素でした。
これはファッションの影響力を民主化し、共感できるインスピレーションを提供したのです。
リアルな若者たちの着こなしは大きな影響力を持ちました。
90年代に流行ったファッションアイテムやスタイルがストリートスナップから生まれることも少なくありませんでした。
これらの当時の雑誌は、出現しつつあるサブカルチャーの「百科事典」として機能し、その複雑な視覚言語を解説した大事な情報源だったのです。
音楽シーンとの共鳴:ミュージシャンが発信するスタイル
90年代は、音楽とファッションが非常に密接に結びついていた時代でもあります。
ミュージシャンたちのスタイルは、ファンにとって直接的なファッションのお手本となりました。
ミュージシャンがスタイルを採用または先駆し、それがファッション雑誌によって取り上げられ増幅されました。
TLによく回ってくるし、フォロワーさんにもファンが多いようなので、(何故か)唯一私が持ってるB'zさん切り抜きを出してみる。
「明星」90年11月号みたい。 pic.twitter.com/ykKIkmxA7K— さんご (@papiwell) June 17, 2019
その結果、ファンがこれらのスタイルを取り入れ、ミュージシャンの象徴的な地位とファッションの魅力をさらに確固たるものにしたのです。
グランジロックのミュージシャンたちの着こなしはグランジファッションの流行を後押ししました。
ヒップホップアーティストたちのスタイルはB-BOYファッションの浸透に大きく貢献したのです。
J-Popやロックシーンでは、小山田圭吾さんや小沢健二さんのような人物がフレンチカジュアルスタイルに影響を与えました。
渋谷系ミュージシャンたちのスタイルは雑誌でも頻繁に取り上げられました。
当時流行したブランドのアイテムを身に着けることで、そのカルチャーへの帰属意識を持つ若者も多くいました。
また安室奈美恵さんの「アムラー」現象は主に女性のものでしたが、音楽セレブリティがトレンドを左右する力は絶大でした。
ハリウッド俳優もまた、影響力のあるスタイルを発信していましたね。
スニーカーブーム到来:90年代に流行ったファッションの代表格
90年代を象徴する、90年代に流行ったファッションアイテムといえば、スニーカーを置いて他にないでしょう。
革新的なデザインとマーケティングによって推進されたスニーカー人気の前例のないブームでした。
スニーカーは単なる履物を超え、ステータスシンボル、コレクターズアイテムにまで成長していったのです。
500万円のエアジョーダン が登場!
1/11(土)よる10時よりプレミア公開https://t.co/U3vVXnnTa3 pic.twitter.com/aNyl6de25O— GQ JAPAN (@GQJAPAN) January 9, 2020
ナイキのエアマックス95は当時、社会現象とも言えるほどの爆発的な人気を誇りました。
その革命的なデザインと可視化されたエアテクノロジーは、「エアマックス狩り」という事件を含む社会現象を引き起こしたほどです。
また、エアジョーダンシリーズも根強い人気でした。
マイケル・ジョーダンの人気とNBAブームに煽られ、様々なモデルがコレクターズアイテムとなりました。
リーボックのインスタポンプフューリーも、その未来的なデザインとポンプテクノロジーで際立ちました。
アディダスのスーパースターも人気を維持し、特にヒップホップやスケートカルチャー内で支持されました。
これらのハイテクスニーカーは、単なる運動靴としてではなく、ハイブランドのファッションアイテムとしての地位を確立しました。
「服」のコーディネートではなく、それがもはや主役となる存在だったのです。
『Boon』などの雑誌はスニーカー特集を頻繁に組み、スニーカーの人気と価値をさらに高めていきました。
90年代に流行ったメンズブランドがリバイバル?時代を経て令和へ
90年代に流行ったメンズブランドの多くは、その独創性や質の高さから、現代においても多くのファンを持っています。
裏原系のA BATHING APEやUNDERCOVER。
アメカジの定番であるリーバイスやレッドウィング、スポーツブランドのナイキやアディダスなど。
こういったブランドが90年代に築き上げたスタイルやアイテムは、令和の今でも普遍的な魅力を持ち続けています。
日本の伝統を取り入れた A BATHING APE BAPE STA #3 が2025年 5/4 発売 (ア ベイシング エイプ)
>> https://t.co/bAZFaoahrF pic.twitter.com/vCoT0XuVVq
— Fullress (@fullress) May 3, 2025
古着市場では当時のアイテムがプレミアム品として高値で取引されることもあります。
リバイバルブームとして、令和の現代になってもファッションシーンに大きな影響を与え続けているのです。
1990年に流行った服を探求することは、もはや単なるレトロ趣味ではありません。
現代ファッションのルーツを知り、体験することにも繋がるということです。
90年代日本メンズファッション・メディア・社会文化年表(概略)
年 | 主要ファッションスタイル/出来事 | 雑誌の特集/トピック例 | 主要音楽/文化イベント | 関連社会経済状況 |
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1990-1992 | 渋カジブーム本格化、ソフトスーツからボディコンシャススーツへ、アメカジ深化 | 『Men's Non-no』『POPEYE』での渋カジ特集、アメカジアイテム紹介 | 小山田圭吾・小沢健二らフリッパーズ・ギター周辺の台頭 | バブル経済崩壊開始、価値観の揺らぎ |
1993-1995 | グランジファッションの流行、裏原宿カルチャー萌芽(NOWHEREオープン)、ヴィンテージブーム加速、ナイキ エアマックス95発売 | 『Boon』創刊(1988年だが影響力増大)、裏原系ブランド紹介開始、スニーカー特集増加 | ニルヴァーナなどグランジロック世界的ヒット、クラブミュージック人気上昇 | 「失われた10年」不況深刻化、消費者の低価格志向と個性化志向 |
1996-1997 | 裏原系ブランド人気拡大(A BATHING APE等)、スニーカーブーム最高潮(エアマックス狩り社会問題化)、ヒップホップスタイル(B-BOY)登場 | 『Boon』でのエアマックス、エアジョーダン大特集、裏原系ストリートスナップ | R&B、ヒップホップ人気本格化、安室奈美恵「アムラー」現象(女子) | トレンドリーダーとしての女子高生 |
1998-1999 | モードとストリートのミックス、ミニマルなスタイルも散見、裏原系が女子にも波及、カマ男/フェミ男の登場 | 各誌で多様なストリートスタイルが混在、個性的な着こなし提案 | 様々な音楽ジャンルの共存、DJカルチャーの成熟 | ITバブルの兆し、情報化社会の進展 |
90年代当時のメンズ・ファッションのレガシーと現代への影響まとめ

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90年代当時の日本メンズファッションについて、これまでの歴史を一緒に振り返ってきました。
この時代は、日本のメンズファッションが大きな変革と飛躍を遂げた時代でした。
バブル崩壊後の価値観の転換期、「豊かさ」の絶大な信頼が崩壊を始めた時代でもあります。
物質主義から離れ、個性や自己表現、ライフスタイルが重視されるようになり、個性が市民権を得始め、そして多様なスタイルが花開いた特異な時代だったのです。
元々はアメカジから始まり、メンズストリートファッションの代表格である裏原系を誕生させ、反骨精神を映したグランジスタイル。
そしてグローバルな影響を受けたヒップホップスタイルまで、それぞれのスタイルが明確な個性主張、そして明確な社会背景を持っていました。
ファッションそのものが、若者たちの自己表現の手段として認められ始めた時代です。
ここで「個の時代」が幕を開け、ファッションは自分らしさを表現するためのツールとなりました。
「何を着るか」というブランド重視から、「どう組み合わせるか」というスタイリング重視への移行が見られました。
東京のストリート、特に渋谷や原宿はファッションイノベーションの実験場でした。
グローバルなユースカルチャーを受け入れつつ、日本独自の解釈で、新しいスタイルとサブカルチャーを生み出したのです。
当時流行したブランドや90年代に流行ったファッションアイテムは当時のメンズ雑誌を通じて広まりました。
音楽やカルチャーと深く結びつきながら、一つの大きなムーブメントを形成した熱気と創造性は、現代のファッションシーンにも確実に受け継がれています。
90年代に築かれたストリートスタイルの重要性、限定品文化、真正性の価値は今も共鳴しており、これを深く知ることは、今のトレンドを理解する上でも重要な意味を持つのです。
ファッションが社会を映し出し、時には変える力を持つことを、90年代は教えてくれます。
この記事のポイント
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90年代は日本のメンズファッションが多様化し熱狂的に盛り上がった時代
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バブル崩壊を機に画一的なトレンドから個人主義的なスタイルへと変化
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渋谷の高校生を中心に広まった渋カジは上質でシンプルなアメカジスタイル
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渋カジではリーバイス501、ラルフローレン、レッドウィングなどが定番
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原宿の裏原宿発祥の裏原系はDIY感と希少性を重視したストリートファッション
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A BATHING APEやUNDERCOVERなどが裏原系の代表ブランド
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グランジファッションはニルヴァーナの影響を受けたアンチファッションスタイル
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グランジではネルシャツやダメージジーンズなど着古し感が重要視された
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アメカジはヴィンテージやワークウェア志向へと深化し「味出し」が流行
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ヒップホップスタイルは90年代後半にB-BOYファッションとして広まった
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ナイキやアディダス、ティンバーランドなどのスポーツブランドが人気に
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冬にはB-3ジャケットやダウンなど防寒性とファッション性を兼ねたアウターが主流
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ヨウジヤマモトやコムデギャルソンの影響でモード系ストリートも浸透
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ファッション雑誌『Boon』『Men's Non-no』などが若者の情報源として機能
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スニーカーブームが社会現象となり、エアマックス95が象徴的アイテムに
参照:
1990年代の流行動態 : ストリート・ファッションの特徴とその本質
Cool Japan/クール・ジャパン戦略(経済産業省ほか)